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PROFILE


                                
1949年 栃木県足利市出身
国立音大付属高校から国立音大進学後、先輩である本田竹廣氏のピアノ演奏を聴いて、ジャズに開眼。
在学中より演奏活動を始め、渡辺貞夫クインテットでプロデビュー。
日野皓正クインテット、森山威男カルテットに参加する一方、自己のトリオでの活動も開始。
エルビンジョーンズ(Drums)やレイアンダーソン(Trombone)とのワールドツアーにも参加。

現在は2010年に結成した自身のトリオ“FIT!”を中心にジャズオーケストラやセッション、映画音楽など多彩な活躍。
ジャズ以外でも様々なジャンルで活躍する人達とセッションを組み、<ジャズと はなにか?><即興と作曲とは?><音楽とは?><生きることとは?>と常に音楽の源流を模索し続けている。
チョッパーでグリッサンドで煽りたて疾走するピアノの奏でる音楽は、時に強く、そして時に優しく暖かい!




1949年 栃 木県足利市出身。
国立音大在学中よりジャズ活動を始める。


1970年 渡辺貞夫クインテットでプロデビューを果たす。

1974〜79年 日野皓正(tp)クィンテット、森山威男(ds) カルテットに参加する一方、自己のトリオでも活躍。 アルバム「濤」「ライズ&シャイン」「ネイチャー」発表。柳町光男監督「19歳の地図」の映画音楽を担当。

1982年 ソロアルバム「渡良瀬」を発表、同時に全国縦 断101ヶ所「渡良瀬一人旅 」ツアーを敢行、全国的に注目を集め話題を呼ぶ。 

1984年 11人編成の「板橋ジャズ・オーケストラ」を結成、「インパクト」発表。        

1985〜87年 エルビン・ジョーンズ・ジャズマシーンのワールドツアーに参加。 他にもレイ・アンダーソン(tb) など世界的なミュージシャンとのワールドツアーを成功させ、国際的な活動に入る。

1989年 峰厚介(ts)、井野信義(b)、村上寛(ds)とフォーサウンズ結成。「ライブ・アット・モブズ」発表。

1990年 アジアでの活動も広げ、韓国、インドネシア、タイ、香港などで「地球を救うコンサート」や「タイ国王継承50周年記念祭」のフェスティバルに招待される。

1991年 レイ・アンダーソンのアルバム「Wishbon」に参加。 ニューヨークのビレッジ・バンガードに出演、カナダ・アメリカツアーに参加。演劇「ソングデイズ」で金子飛鳥と共演。

1992年 台湾のスタン・ライ監督「暗恋桃花源」の映画音楽を梅津和時(as) と担当。

1993年 新事務所「MixDynamite」を設立。「MixDynamiteユニット」を結成。 92年の意欲的なライブをまとめた4枚のCDを自主レーベルより発表。斎藤徹(b)、沢井一恵(筝)と「月の壷」を結成。 ジャズというジャンルを超えて、邦楽家、詩人、画家、韓国のシャーマンなど様々なアーティストとの共演を積極的に開始する。

1994年 萩庭貞明監督「さまよえる脳髄」と台湾のスタン・ライ監督「紅蓮會」の映画音楽を担当。 森山威男と共にヨーロッパツアーを行う。「月の壷」で、韓国・ラオス・タイツアーを行う。「MixDynamite」で国内ツアー、インドネシア・ジャカルタ・ジャズフェスティバル、香港「Jazz Club」等に出演。

1995年 タイのバンコクにて、第一回「炎熱アジア・ミックスダイナマイト・アジアに吹く風」コンサートを行い、 郊外の小学校で交流、タイ各地のライブハウスに出演。竹澤悦子(筝)、松田惺山(尺八)等と「MixDynamite邦楽ユニット」結成、「地球を救うコンサート」等出演。第3回「横濱ジャズプロムナード祭<板橋文夫〜大地の歌>」ランドマークホール、総勢15人出演。 「Mix Dynamite」で国内各地の小・中学校で交流、演奏会を開く。新星堂オーマガトキレーベルより「The MixDynamite 游」を発表。

1996年 第4回「横濱ジャズプロムナード祭<板橋文夫〜大地の歌U・峠の旅人たち>」。 第1回「タイ国王継承50周年記念ジャズ祭」に招待される。

1997年 6月、世界で最も注目されているニューヨークのニッティング・ファクトリー主催の「ニューヨークジャズ祭」に日本人として初めて出演。 その後、ローマ・パリ・ケルンなどヨーロッパ各地のジャズ祭に出演し、高い評価を得る。9月、アカバナレーベルより、沖縄の民謡歌手、大工哲弘をゲストに迎え、 NEW CD「ウチチューメー〜お月さま」を発表。10月、「横濱ジャズプロムナード祭<板橋文夫〜大地の歌V・沖縄の風>」。

1998年 前田祐希ジョージ・ガーシュイン生誕100年記念CDのレコーディングに参加。 パリ公演。

1999年 Mix Dynamiteレーベルから「005」を発表。 6月、ローマ公演。民謡歌手金子友紀とのデュエットで参加、熱狂的な喝采を受ける。8月、コンポーザー・音楽監督として参加した、 香港映画 クリストファー・ドイル監督初作品「Away With Words」(邦題“孔雀”)が、公開される。 サウンドトラック盤「孔雀」がSMEより発売される。 10月、横浜関内ホール「シンフォニックinジャズ」で、神奈川フィルハーモニー管弦楽団と共演、 ジャズ・ピアノと管弦楽のための交響詩「渡良瀬」、大きな話題を呼び2001年に再演されることとなる。 第7回「横濱ジャズプロムナード祭<板橋文夫の世界〜大地の歌‘99>」。

2000年 2月横浜みなとみらいホールで、横浜バロック室内合奏団と、シェーンベルグ「月に憑かれたピエロ」を語り手前田祐希で共演。 4月、初のソロライブアルバム「Northwind」(2枚組)発表。発売10ヶ月で完売。再プレス。5月、おーらいレコードより、「燦燦san-san」(トリオでのスタジオ録音盤)発表。 8月、アフリカのケニアへ約1ヶ月間、初めての一人旅に出かける。 10月、第8回「横濱ジャズプロムナード祭<板橋文夫・大地の歌〜アフリカの風>」ランドマークホールでは、1日に5セッションすべてに出演。 総勢23名の「板橋文夫ミレニアムJAZZオーケストラ」を編成し「アフリカ組曲」を初演。

2001年 4月、今までのピアノ人生の全てをソロで唄いあげた、ニューアルバム「一月三舟」を発表。 7月、国際交流基金の助成で、ブラジルはソロで、ケニア、セイシェルへはトリオで約1ヶ月間の演奏旅行に出かけ大成功を収める。 その記録を自身で書き下ろし、200枚の写真で綴った初のフォトエッセイ「ジャンボ!オブリガード!」(CD付)と公演の収録ライブCD(ブラジル編、アフリカ編各2枚組)をリリース。

2002年 1月、デンマークのジャズフェスティバルにソロで参加。コペンハーゲンを中心に8ヵ所で演奏、大好評を博す。

2003 10月、「横濱ジャズプロムナード」では、ケニアで競演したリーダー、シュトゥ率いる「ギリヤマ・ダンス・トゥループ」(ダンサー6名、パーカッション4名)が初参加。 板橋文夫オーケストラと共演、関内大ホールに集まった千人を超える観客を熱狂させた。

2004 4月、10年ぶりに再会を果たしたアルトサックスの鬼才、林栄一と初のデュオアルバムをリリース。

2005 ”幻の名盤と言われた’82年発表のソロアルバム「わたらせ」が23年ぶりに復刻、初のCD化が実現した。
6 月には「林栄一 x 板橋文夫DUO Vol.U」をリリース。 また7月にはウルトラ・ヴァイヴ「渋谷ジャズ維新」より、「板橋文夫アンソロジー〜WATARASE」(2枚組み)がリリース。 このアルバムに「交響詩[渡良瀬]〜ピアノと民謡と管弦楽のための」が収録され、ヴォーカルヴァージョンが始めてCDで聴けると話題になる。 年末にはカルメン・マキ(vo) 太田恵資(vl) とのユニットでの活動が始まる。

2006 一月、1975年の東京「アケタの店」でのライブ録音盤「Rise and Shine」が復刻、30年ぶりに初めてCD化、リリースされた。
10月、恒例の「横濱ジャズプロムナード」では、スペイン在住の画家、堀越千秋氏が、関内大ホールで、板橋オーケストラのバックに巨大なカンバスを吊り下げて演奏を聴きながら絵を描くというコラボレーションを披露、観客を驚かせた。

2007 前年に続き、秋にはカルメン・マキ+太田恵資ユニットで東北、関西、九州とツアーを敢行、大好評を得た。 10月には、同じユニットでライブ録音したCD「時には母のない子のように2007」をウルトラ・ヴァイブからリリース。 また井野信義(b)、小山彰太(ds)とのミックスダイナマイト・トリオで10年間続いた神戸市岩岡・木のホールでのライブ録音したCD「Do Something!」も同時にリリースされた。

2008 3月、板橋文夫ジャズ・オーケストラ(11名)による初のアルバム制作のためのレコーディングが西東京市”こもれびホール・小ホール”で行われ、 10月、MIX DYNAMITE RECORDよりリリース。タイトルは11名、11曲で”WE11 the Itabashi Fumio Orchestra"。 画家、堀越千秋氏がライナーノーツと装丁で参加、協力している。

映画音楽も多数手掛けており、柳町光男監督「19歳の地図」、萩庭貞明監督「さまよえる脳髄」、台湾スタン・ライ監督の「暗恋桃花源」、香港映画クリストファー・ドイル監督初作品「A Way With Words」(99年8月邦題“孔雀”で公開)など。
そのほか、毎年、日本の有機農業グループとタイの農村に研修ツアーに出かけたり、全国各地の幼稚園、小学校、中学校などでも公演、交流し、音楽の素晴しさを共有しあったり、ジャズのみならず、クラシックや様々なジャンルで活躍する人達とセッションを組み<ジャズとはなにか?><即興と作曲とは?>、<音楽とは?><生きることとは?>と常に音楽の源流を模索し続けている。 チョッパーでグリッサンドで煽りたて疾走するピアノの奏でる音楽は、時に強く、そして時にやさしくあたたかい!




Born in Tochigi, Japan. Fumio started playing jazz while studying at the prestigious Kunitachi College of Music. Made his professional debut as a member of the Sadao Watanabe Quintet in 1971 and then joined Terumasa Hino Quintet and Takeo Moriyama Quartet while his own trio released a number of albums during the 70s. Was a member of the Elvin Jones Jazz Machine World Tour from 1985 to 1987 including other international artists gaining him global fame. In 1991, Fumio joined the Ray Anderson's album "Wishbon" and made an appearance in the Village Vangard in New York before touring North America with them. Set up his own label [Mix Dynamite] and his own "Mix Dynamite Unit" in 1993 starting to play with artists from different genres of music. Made an appearance in the Knitting Factory's New York Jazz Festival in 1997 as the first Japanese artist. In 1999 Fumio joined Christopher Doyle's Hong Kong film "Away with words" as a music director/composer and released the sound track. With funding from the Japan Foundation Fumio toured in Brasil, Kenya, and the Seychelles with his trio and published the photo essay "Jambo! Obrigado!" along with 2 live albums from the tour in 2001. The "Giriyama Dance Troup" which played with the trio in Kenya was invited in Japan in 2003 to play along with the trio in the Japan's biggest Jazz Festival and sent an audience of over 1000 frantic.





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