OTOGAWA Eiji



Note


オリジナリティ

素晴らしいこと







オリジナリティってなんだろう?

このことについて若いころからずっと考えてきた。

僕は紛れもない僕だから、自分自身に戻ればオリジナルなはずだと思う。

こんなシンプルなことなのに、何故か非常に難しい。


本当に自然なら、自分が自分であること程簡単なことはないはずなのに、

複雑になりすぎてるために、外側に身につけてしまった概念、思考パターン、

信念、善悪、優劣、不安、恐れ、自己顕示欲などなどを捨てることが難しくなってしまった。

これらを、あっさりと捨て去ることが出来れば、残るのは自分自身そのものしかないはずです。


でも、立派な人が言った立派な言葉に従わなければ心配だったり、間違ってたら叱られる、

白い目で見られる、ひそかに馬鹿にされる、とか様々な恐れに取り付かれてしまいます。

あるいは、自信過剰になり(これも不自然)俺様の考えが一番正しいのだ!と言って、

自分で生み出した信念の奴隷に気づかないままなってしまったり。

恐れるのも、威張るのも、どちらも不自然な思考パターンの形態の一つに過ぎないと思う。

そもそも思考や論理が無ければ僕は存在していないのだろうか?


僕は若い頃から、自己流だけど瞑想のようなことをしています。

(どんな団体、教義、流派などには属していませんが)

ある日、ほとんど思考が無くなった時、言葉では絶対に表現できない、思考、論理を超えた、まっさらな自分

(というか自分という概念もない)を何度か経験しました。


おかしなことに聞こえるかもしれませんが、クスリをやったとか、頭がおかしなヤツだとか思うかもしれませんが、

僕の中では本当なので仕方がないですが、それでも信じられないかもしれませんが(^O^)

思考を超えた平和、幸福、安心(言葉にすると自分で違和感を感じますが)のようなものを感じました。

どうしてだろう?と考えてみました。


すると、あ!!不安、恐れ、心配、優劣、善悪、信念、疑い、などのものは、全て思考に過ぎなく、どこにも実在していない!!


ということが分かったんです(((o(*゚▽゚*)o)))

だから思考が止まった時にはそういうものが現れるはずがなかったんです!

ネガティブなものの100%は思考の産物に過ぎなかった。

思考が起きてない時には最初からそんなものは存在してないんだ!

起きてきたとしても、やはり自分の思考にすぎないんだ、ということが認識できるようになりました。


だから本当の自分とは思考ではなく、思考を生み出す母体のような純粋な存在のことだと思います。

名前、定義もありません。説明を超越していますから。

でも説明できなくても自分がいることだけは間違いないから、在るんです。


じゃあ、何もしなくていいのか?というと、、、




何もしなくて(も)いいと思います。




でも、したかったらするんです(*゚▽゚*)

義務や信条や強迫観念ではなく、自然発生的にやりたくなったらやります。

僕の場合は、自然にやらされていて、それが楽しいといった感じです。


自然や宇宙というのは無限に創造的だと思いませんか?

海、山、草花、星、太陽、地球、動物、人間、そして僕達。

そうなんです!僕達は創造性そのものではないんでしょうか!!

もし、それに自発的に(ポジティブに)委ねられたなら、きっとオリジナルになると思います(((o(*゚▽゚*)o)))


2013/10/10





なかなかできないけど、素晴らしいこと。

こういうの沢山あるけど、簡単に出来て、素晴らしいこと。

こっちの方が良く考えると少ない。


今の世界を率直に観察してみると、人類の基本姿勢は生存競争で成り立っていると思う。

みんなでどれだけ自分達が獲得するか、利潤追求、利益至上主義、私利私欲、数字を出してなんぼ。

何も企業や会社に限らず、フリーターだって額は少ないものの、基本姿勢は自分がどれだけお金を貰えるか(獲得できるか)ということに違いはない。

昔はどれだけ食べ物を獲得するか、土地を奪えるか、手下を増やせるか!

ってことだから、何も変わってないんだね。。。


でも、これが常識で、事実で、こうするより他に生き残ることができないという強固な信念が当然のようにあるけど、 この信念は本当なんだろうか?

何か他のやり方はないんだろうか?


「取る」の反対は「与える」。

取る代わりに与えたらどうなるんだろう?

ある本に、その考えが真実かどうかを知るための簡単な方法がある、それは、その考えを全員が適用したら上手くいくかどうか?

という質問だ、と書いてあった。


全員が取ることが当然だと考えると、まさに今の争い、怒り、不安、不平不満、恐怖の世界が現れる!


全員が与え合うことが当然だと考えると!!

うわあーー(((o(*゜▽゜*)o)))

宗教臭いとか、道徳論だとか、理想論だとか思うかもしれないけど、

本気で徹底的に正直に考えると、全員が与えたら世界は理想の世界になるとしか考えられない。

こっちのほうが、どう考えてもうまくいく!!はるかに合理的だ。


別のある本にたとえ話が載ってた。

ある人が地獄を見物に行くことが許された。

そこには大きな鍋たっぷりにおいしそうなスープが入っていたのだが、まわりには飢えて痩せこけて倒れている人々が多勢いた。

彼らの手にはスープを飲むためのひしゃくが握られていた。

「もしもし、みなさんはどうしてスープを飲まないんですか?」と尋ねると、

「このひしゃくは1メートル以上もあって、どう頑張っても自分の口にスープを入れられないんじゃ。。。」

と言って落胆していた。


その後、見物人は天国はどうなっているんだろうと思い、天国に行ってみた。

そこには同じように大きな鍋たっぷりにおいしそうなスープが入ってていたのだが、

周りにいる人たちは血色もよく満足そうに楽しそうに話し合っていた。

そして、手には1メートル以上もあるひしゃくが握られていた。


怪訝に思った見物人は尋ねてみた。

「もしもし、皆さんはその長すぎるひしゃくで、どうやってスープを飲んでいるんですか?」

天国の住人は、「なあに簡単だよ、みんなお互いに相手の口にスープをこのひしゃくで飲ませてあげるんじゃよ!」と答えたという。


ポイントは全員がそうならなければ、またもとの黙阿弥になってしまうところだと思う。

でも、全員がそうなるのを待っていては永遠にその時は来ない。

一人が二人、三人、十人、百人、、、、、、と増えていくしか道はない。

できそうもないけど、なかなかできないけど、素晴らしいことだね。


2013/10/13










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