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Live Report

2004年9月18日 MORIYAMA JAZZ NIGHT 2004 @ ala
ヤ、ヤ、ヤ、と言ったら山下洋輔。 イ、イ、イ、と言ったら板橋文夫。 もひとつ、い、い、い、と言ったら井上淑彦。 のっけからわけのわからんこと書いているけれど、いまもって興奮がおさまらないせいなので、許してくださいませ。
われらが森山カルテットにこの3人がゲスト出演するという夢のようなコンサート。
「aLaには、ときどき、神が姿を現す。 その名をaLaの神、すなわち“アラーの神”と言う。」
このフレーズ、去年も使って、みんなから“サブゥ〜”と100回くらい言われたのだけれど、 自分としては結構気に入っているので、今年も使わせてね。(汗;
ミュージシャンが精魂込めて演奏しているとき、ミューズが乗り移るというけれど、 いま、乗り移っているのはミューズなどという軟弱な女神などでは決してない。 そこに乗り移っているのはアラーの神ならぬ、aLaぶる神、つまり“荒ぶる神”に違いない。
(これも結構気に入っているんだけれど...。 あ、フェミニスト諸君、怒っちゃだめだよ。単なる言葉のアヤだから。 それに板橋や望月にミューズが乗り移っているなんて想像できないだろ、アンタだって。)

しょうもないこと書いてないで、早速第1部の様子から。
まずは、ピアノレス、tsの井上、音川の2管とb望月とds森山で“ノンチェック”。
わたしの席からは森山の顔がちょうどサイドシンバルの陰にすっぽりおさまり、まるで皆既日食 (皆既月食? 知らんガナ、わたしゃ、科学や天文学のことにゃ、めっぽう弱いんだから。) 井上、音川も遠く、表情までわからないが井上が艶消しサックス、 音川が艶有りサックスで対照的なのはわかる。
それより、同じtsでも井上のやわらかく円やかな音、 音川の鋭角的な音が対照的なのは一緒に演奏すると素人のわたしでもよくわかって興味深い。
どちらがどうということはないが、この2人が同時に音を出して、時にハモると、 得も知れる快感が聴く者の体を包みこむ。
望月はまったく見えないが、正確にリズムを刻む、その音が聴こえれば十分満足。
さっきから席に不満なようなことを書いているが、実は違うのね。 わたしの席は舞台下手の最前列。ピアノを左前方に至近距離で見上げる位置で大満足。
わたしゃ、何と言ってもpの田中ファンだから。あ、管理人さん、来年もこの席お願いします。(ペコリ。
というわけで、2,3曲目にピアニスト一番手として板橋登場。 “渡良瀬”と“SUNRISE” 板橋のっけから全開。 体全体でピアノを演奏、腰はぐるぐる廻すわ、頭は激しく振るわ、アンタは歌舞伎の連獅子か。
そういえば色こそ違うけれど、ヘアースタイルも連獅子をショートにしたような感じ。
こぶし打ち、平手打ち(手の平を大きく広げてそのまま鍵盤めがけて打ち下ろす)、グリッサンドも度々で、 半分以上の時間はチェアーに腰をおろしていない。 そりゃ、このフォームなら、音圧すごいあの轟音発生するのはわかるけれど、 “渡良瀬”の美しいテーマのメロディーも確かに聴こえてくるから、これが不思議、といったら板橋に失礼か。
聴く者、呆然としてぐったりすればタイミング良く20分間の休憩。

さて、2部は、山下登場、森山とのDUO。
例によって白いシャツ(ISSEY MIYAKEと聞いたことがあるけれど…?)にヴェスト。
1部にラフなTシャツで登場した板橋と対照的。端正。
端正というのはウェアーのことだけではない。その演奏においてもである。
山下を端正などと言ったら世界中の失笑を買ってしまうが、その演奏フォームにおいてである。
その演奏フォームにおいて端正などと言ったら、今度は日本中の失笑を買ってしまうが、板橋との比較においてである。
今回、板橋と山下を続けて観た人は納得してくれるのではないか。 山下、今回も肘打ち、こぶし打ち、十分披露してくれたが、それでも板橋に比べれば端正と言わざるを得ない。 端正なフォームから暴力的な音が出るところが山下の凄いところである。
山下、このジャンルの先駆者、第一人者であるが、まったく保守的でなくいつもピアノと格闘している姿は敬服に値する。
“ミナのセカンドテーマ”“アメリカ”“しゃぼんだま”“キアズマ”。  端正だけど暴力的、フリーリィなサウンドが地を這い宙を走り、 ホールの天井、壁、床に無数の見えないナイフとなって突き刺さる。
無論、聴く者の心にも。
“キアズマ”が始まった瞬間、わたしの後の方で「キャー」という黄色い声が複数聞こえたが、 年季の入った女性ファン達か。

次に、休憩はなしで実質的な3部。
その間、森山の着替えに要するほどの短い時間、ドラムセットのみに照明が当たっている。
3部はレギュラーメンバープラス井上。
ヤー、いよいよ田中登場。さっきも言ったけれど、わたしゃ田中ファンだから、とても待ち遠しかった。
板橋の太い腕、山下の長袖シャツの次に半袖で登場したので、田中の腕の細さがヤケに目立つ。 腕は細いけれど、音はブットイ。 先輩2人に臆することなく、暴れまくり。
腕の太さじゃ負けるが、いかにもピアニストらしい長い十指が、鍵盤を疾走。 “N.O.W.”で暴走したかとおもうと“GRATITUDE”でしっとりと叙情を聴かせる。
狂わんばかりにピアノを痛めつけた直後に、美しいバラードで鍵盤をを愛しむように丁寧に扱う。 田中のことを「ピアノ偏愛性二重人格」と呼ぼう。
これで終了、至福の時間はあっという間に過ぎてしまうなあーと思っていると、アンコールで素晴らしい趣向が。
これはやっぱりピアノバトルというんだろうなあー。森山を中心に今までの下手のピアノに板橋、田中。 上手に新しいピアノが登場して山下。
いや、もう、“白熱”も“熱狂”も“狂乱”もはるかに超えて、4人、この世が今夜終わるのではないかとおもうほど、 力任せにドラムス、鍵盤、叩きまくる。 会場の拍手と歓声、4人の轟音、カオスを形成、サウンド地獄、いや、サウンド天国。
いくらなんでもこれで本当に終了だろうと思いきや、 一転、静かに田中による情感あふれる“グッバイ”のイントロが始まって森山とのDUO。 うーん、この演出もニクイなあー。
会場を出るとき、他の客が“グッバイ”は板橋に弾いてもらいたかったと話しているのがわたしの耳に聞こえてきたが、 わたしは田中でよかったと思う。
別に田中ファンだから言うんじゃないが、“グッバイ”は、すでにスタンダードとなったバラードの名曲中の名曲である。 もう作曲者、板橋の手を離れていわば独立している曲だ。 板橋だって田中の弾く“グッバイ”を間近で聴いて感慨深いものがあったのではないだろうか。

ともかく、今回のaLaは素晴らしかった。
わたしは常々、きれいなホールコンサートよりこぎたないライヴハウスの演奏のほうが好きだといっているのだが、 今回は演出もよかったし照明も曲の進行と実にうまくフィットして素晴らしかった。
こんなホールコンサートならいつでも駆けつけるぞ。
2時間以上、本邦過激派ピアニストベスト3(わたしが勝手に決めました。) を相手に一人で対決した森山、いくら今夜の主役とはいうものの凄いわ。 60歳も間近いと言うことだが、そのエネルギーの爆発、パワーとスピードとテクニックの持続にはただ、ただ驚嘆、感服するのみ。 MCで100歳まで叩くといっていたが、これが冗談でなく真実味をもって聞こえる。
だって、森山のドラムス、聴くたびに凄みを増しているんだもん。 これをこれから一年一年重ねていけば100歳のときはどうなってしまうのだろう。 想像するだけで楽しいではないか。
そうそう、ピアノの至近距離の席で聴いた者の証言として、 あれだけ本邦過激派ピアニストベスト3に痛めつけられ、陵辱され、虐待された “STEINWAY & SONS”は中身はともかく、外見上は原型を無事、留めていたことを報告してレポートを終わろう。

(ふな)



【追記】2004/9/25
ああ、“思い込み”というもののなんと恐ろしいこと。
さっき、なんとなく新聞の舞台に関する記事を読んでいたら「上手…客席からみて右側。」
アレ、右の方? そんな…。 広辞苑引っ張り出して「上手」の項目見たら、「舞台の、見物席から見て右の方。」
そ、そ、そ、そんな馬鹿な。家から歩いて20分ほどの図書館へ走って7分ほどで到着。ハアハア息を弾ませながら 演劇関係の書棚から適当な一冊取って調べれば「上手…客席から見て右の方。」目の前マックラ。もう絶望的な状況だが 最後の悪あがきでもう一冊、別の本を手に取って見れば、非情にも「上手…客席から見て右の方。」と前の本と全く同じ活字。
その場にへたり込んだ。隣りで同じく立ち読みしていたオネエサンが素早くその場を離れた。スタッフが不審者を見る目で こっちを見ている。
こうなったら、もう居直ろう。はい、はい、カミングアウトしますよ。
「わたくし、ふなは何十年もの間、舞台、ステージの上手、下手を逆に思い込んでいました。文句あるか。」(文句あるよなぁー。)

というわけで、わたしのレポート、“上手”、“下手”、反対に置き換えて読んでくださいね。

(ふな)





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