「しあわせ」と「しわよせ」

 自分の人生のうち、捜し物をしている時間と、失くした物に払った費用を考えると、どれだけ浪費していることやらと空恐ろしくなる。


 書きかけの論文の資料はいつも見つからないし、返事をしなければいけない手紙はどこかに行ってしまう。電車に乗れば降りる時切符がすっと出てくることは稀で、改札口を前にポケットやバッグの中を探しまくるのが常である。神隠しにあったかのようにいくら探しても見つからず、精算所で再度料金を払ったことも数知れず。ニューヨークでエアチケットをなくして泣く泣く正規運賃を払って帰ってきたこともある。


 切符が、鍵が、財布がと叫んでいる私に、オットは置く場所や入れる所を決めておけば、と言うがそんなことができるくらいなら最初からなくしたりなんかしない。あれどこだったっけと、仕事場まで電話してしまうことすらあるが、どこどこを探してごらん、あそこにしまってあるよと教えてくれる。まるで魔法のようである。


 オットと暮らすようになってから、ラップがなくなったとつぶやけばスペアが出てくるし、玄関の電球が切れているなと思えばいつのまにか灯っている。シャンプーがなくなりそうな時は戸棚を開くと詰め替えが置いてある(しかも必ず特売シール付きである)。気がつけばゴキブリ退治がしてあったり、忙しくて買い物をする暇がない日には冷蔵庫の中には食べ物が入っていたり、疲れたなと思う日には台所がピカピカになっていたりする。


 “しあわせー”と言うと“しわよせー”と返答が返ってくるが、先走る私のシッポを押さえていてくれたり、私に欠けているところを色々な意味で補ってくれるかけがえのないパートナーで、もう頼りきりである。


 オットはこの春、義肢装具士になった。この資格は、コルセットやサポーター、義足などを製作・適合するためのもので、整形外科とは切っても切れない関係である。整形外科が分化しつつあるのと同様に、装具も全身を扱うため、細かい知識と専門性が必要になる。靴一つとっても、ドイツの整形外科靴マイスターなどは6年もの歳月をかけて知識と技術を習得するのだ。オットには義肢装具士として頑張ってもらい、仕事の上でもパートナーになってもらおうと思っている。


 私がいくら靴医学の勉強をしても、自分で足底板を作ったり、靴底の加工をするわけにはいかない。足の健康を守るための靴を目指して二人三脚で歩いていこうと思う。