秋晴れの、突き抜けそうな青空の下、名鉄電車で日本ライン今渡へ。うーん、とってものどかなところ。駅から可児福祉センターを目指して歩くと、道端の栗の木に大きな実がなっている。秋だなあ。ホールの外壁には森山威男ジャズコンサートの垂れ幕が。ドラムとサックスの音が響いてくるのにつられて裏口からひょいと顔をだしたらステージの裏。おお、リハ中。いい音。ドキドキしちゃう。ついこの前聴いたばかりなのに、嬉しいなあっと。こそっと写真をとってしまいました。入り口に着くと、観客としては一番乗り。整理券番号1番をいただきました。管理人特権でもらった訳じゃないですよ、ホントに一番だったんだから。この整理券は良いアイデアですね、じっと並んでいなくてもすむもの。開演までどこかで座って並んで待つのかと思って、シートまで持参で行ったのだけれど、福祉センターの中で待つことができて、ほっとした。月末の学会発表の準備をすすめる。

開演2時間前、リハも終了。田中さんがステージの上でストレッチ体操をしているが黒ずくめの服装の上バックが暗幕で、顔と手だけが浮かんで見える。人形劇をみているかのような感じ。

開演10分前に整理券番号順に行列。2番を持った男性に「奥さん1番取らはったん?ふーん。何時頃来たの?」ジャズ好きとおっしゃいながら、エルビンジョーンズは知らなくて、森山さんのCDはまだ聴いたことがなくて、ライブも初めてとのこと。宅配便の会社にお勤めで、森山さんのドラムをピットインから運んだこともあるという。(森山さんのお名前はご存じで、何で可児にに森山さんがいるんだろうかとびっくりなさったらしい。)「森山さんってどんなん?すごいん?日野元彦より?」森山さんがいかにすごいかと力説したところ、「奥さん何者?関係者?」関係者ではなくて勝手なファンだと言ったらまた疑わしげな目に。奥さんを連発されるが、もし奥さんでなかったらどうするんだろう。多分仕事で中年女性を見ると「奥さん」と呼ぶのが習慣なんだろうな。開場して、急いで最前列へ向かう。ドラムの前をキープ。ふうー。

あとちょっとで始まると思うと、なんだかワクワクする。もうすぐ好きな人に会える時のような、ちょっとドキドキ。えっ、この気持ちは恋?なんて・・・。森山組に恋!

「皆さん今晩は。」ともこさん登場。(ここからもこさんの喋りはピンク色、森山さんの喋りはグリーン・だいたい忠実に再録していますが、少々の間違いはごかんべん、誤字はご指摘下さい)うわー、目にもあでやかなドレス。身長が高い上にスタイルがよくて舞台映えがするー。かっこいいなあー。今日は写真、ビデオ撮影ができないのが残念である。

「森山ジャズナイト2001へようこそお越し下さいました。最初にひとつお詫びとお断りを申し上げなければなりません。実は今回、このジャズナイトにニューヨークからのお客様として、お越しいただく予定でしたテナーサックス奏者のジョージ・ガゾーンさん。皆さんよくご存じの、あの悲しい事件の影響を受けまして、今回来日することができなくなりました。それで、今夜はここにはいらっしゃいません。来日することができなくなった、要するにニューヨークから来ることができなくなった人がいるかと思えば、ニューヨークに行くことができなくなった、そういう人間もいるものです。実は、私がそうなんです。はー。今週の月曜日、17日が出発でちょうど今日が帰国予定日。4泊6日の旅で、1年に1回だけ夏休みと称して、自分へのごほうび、それからジャズの勉強をしにニューヨークに毎年行ってたんですけれど、よし、ニューヨークに行くぞ!っと思っていた矢先の先週のあの事件によって、行くことができなくなりました。そんな私をみかねてだったのでしょうか、森山さんが声をかけてくださいました。そうして、私はこの場に来ることができました。セッション505という普段はNHKFMのjazzライブ番組の司会を務めております、今日は皆様に初めてお会いすることができて本当に嬉しく思います。司会の小川もこです。どうぞよろしくお願いいたします。」拍手。

「ありがとうございます。えー、可児市、ね、初めておじゃまいたしましたけれど、こんなにたくさんの皆様がジャズを愛してくださっている、そしてひょっとしたら今夜ジャズをライブでお聴きになるのは初めてという方々も多くいらっしゃるかもしれません。私も、実は最初の頃はそうでした。誰でも一番最初は初めてです。でもジャズっていう音楽、ひょっとしてイメージで難しいんじゃないか、とか何かとても凄く詳しいことが判ってないと感動してはいけないんじゃないか、ひょっとしたらそんな固定観念をお持ちの方がいらっしゃるかもしれませんが、今夜、ここですばらしい、私は日本一というか、世界一のすばらしい感動を与えてくれるカルテットだと思います。この森山威男カルテットのライブ演奏を、初めてジャズに触れる、その一番最初だとしたら、その方はすごく幸せで、ある意味とても不幸かもしれません。その不幸の意味はまたあとでわかると思います。ええ、今日はこれからの時間、皆様に少しでも何か、絶対感じて帰っていただくことができると思います。そんなお手伝いができればと思っています。最後までよろしくお願いいたします。さあそれでは、早速お迎えすることにいたしましょう。お一人おひとり、お名前でご紹介いたします。大きな拍手でお迎え下さい。オン・ベース、望月英明!」

拍手と共に舞台の下手からグズラさん登場。ライトを浴びてまるきりスターみたい。いままでもこういう登場の仕方はあったのだと思うのだけれど、MCが良いと雰囲気が全然違う、思わず歌謡曲番組みたいで吹き出してしまいそうになった(似合わないー)、ゴメン。田中さん、音川さん、森山さんの順に名前を呼ばれて登場。「森山威男カルテット、どうぞ最後までごゆっくりお楽しみ下さい!」森山さんのドラムのイントロ、マーチングオブセブンスのスタート。

田中ソロ、音川ソロ、フレージングがおもしろい、ワクワクする。どうも森山さんのドラミングが少々違う。フィルインのところのリズムがマーチだけでなくちょっと刻み方が4ビートっぽいし、タムの音階の使い方が・・・気のせい?ドラムソロも長い気がする。いまのMDは全部時間も表示できるので、これからレポートに誰が何分この曲でソロをしたか、って書いちゃおうかな。なんだかすごい掛け声をかけている人が左隣の方に座っている・・・ステージから見て右側か。まるで吠えているみたい。

おやおやすぐさまSun,be motionless.ベースの音が良く聞こえる。音川ソロのバック、支えるベース。ひょうきんな顔をしてドラミングを楽しんでいる森山さん、音川さんに掛け声をかける。おー、田中ソロ、うわーうわーうわーうわーすごい!森山ソロ、ラブリーのように近くで見るのもいいけれど、こうやってスポットライトを浴びている森山さんも素敵だ。

大拍手。「思わずね、かっこいいー、って言葉がもう心の底から出てしまいます、最初から飛ばしてくれました。まず、オープニングナンバー、元気なマーチ、行進のイメージでしたが、実は、聖書の中の逸話で、城壁の周りを七回廻ったら奇跡が起きたというそんなエピソードから森山さんがタイトルをつけられました。ピアノの田中さんが作曲されました。マーチング・オブ・セブンスです。」拍手。「そしてもう一曲も、神話からのエピソードなんですが、太陽よ、止まれ!という意味で、Sun,be motionless.どちらも田中さんの作曲でお送りいたしました。」また拍手。こんなことは初めて見ました。「拍手をありがとうございます。今日はね、冒頭申し上げるのを忘れちゃいましたが、本当に良いなーと思ったらもう立ち上がっていただいても、心の底からイェー、とか大きな声を出していただいてもどのようにノッていただいても結構ですからね、お好きに・・・」と言ったところで後ろで森山さんがイスから立ち上がっている。お茶目ー。場内笑い。

「森山さん自身が立ち上がっていますが。田中さんも立ってましたけど(演奏中)、私の担当しているセッション505という番組に最初にこの森山バンドで出て下さったときに、田中さんは流血の惨事となりました。ハイビジョンでご覧になっていた方はね、覚えていらっしゃると思うんですが、なんか指を切ってしまったんですかね、テレビに血が飛び散ってましてね、すごい、壮絶な、でもそれだけ迫力のある演奏を全国に、全世界に届けてくれたんです。じゃあ、ここで森山さん、森山威男カルテット、簡単なプロフィール、紹介させていただこうと思います。森山さんは1945年、山梨県は勝沼に生を受けられました。ですから・・・ね、数えませんけど、今50代ですね、はい。でも私は本当に森山さんを拝見して、いやぁ人生の真夏は50代だなと。今まで会った、誰よりもかっこいいセクシーな50代であるなとこのように、自分も年を重ねて50代になるのがすごく楽しみに思います」拍手。

「でですね、実は、音楽を目指す者の日本の最高学府でありますね、東京芸術大学の打楽器科を卒業されてます。で、卒業されてほどなく1967年からピアノの山下洋輔さんが率いる、山下洋輔カルテットに参加されまして、いわゆるその後山下トリオの黄金時代に大活躍されました。もうヨーロッパにも度々公演に行かれまして、全世界に名ドラマー、伝説のドラマー、森山威男、この名を知らしめました。そうして一時代を築いた山下トリオを一時終止符を打たれて離れて、そうして1977年にピアノの板橋文夫さん、そして今もレギュラーの望月英明さんらとご自身のバンド、リーダーバンドを結成されます。フロントのサックスの方が、歴代替わりまして、初代の高橋(知己)さんから小田切(一巳)さん、国安(良夫)さん、井上淑彦さん、で、アルトサックスの林栄一さんと替わりまして1999年からは現代の音川英二さんがテナーサックスとして参加しています。」藤原幹典、榎本秀一が抜けているが・・・拍手。

「それよりちょっと早くピアノが田中信正さんとなってだいぶメンバーも若返って今に至るという感じなんですが。若返ってと申し上げるのも何でございますが、一番最初に申し上げた森山さんが山下洋輔さんのバンドに入られた、そのプロデビューされたのが1967年。ね、田中さん生まれたの何年でしたっけ?」「68・・」と田中さん。「68年!」会場笑いとどよめき、一番大きい声で笑っていたのは田中さん?もうデビュー後に生まれてるんですねえ。これだけ2世代住宅、3世代住宅って感じですけれど、でもなんだかやっぱり音楽って年齢関係ないなあと、このパッション。で若いメンバーが入るってことは、無限の可能性があるっていうことです。21世紀、ますますこのメンバーでずっとずっと頑張っていきますので、ずっとずっと、応援よろしくお願いします」

拍手。「それでは続いての曲、ご紹介いたしましょう。82年から94年まで森山威男カルテットのメンバーでしたテナーサックスの井上淑彦さんがこのグループを去るときに残していってくれました美しいバラード、感謝をささげるという意味でGratitude.そしていろいろな束縛から解き放たれた「自由な民」といったイメージの一曲、ピアノの田中信正さん作曲でFree people。二曲続けてどうぞ。」

Gratitude.静かにピアノのイントロからサックスが入る。ベースの音が良く伸びている。今日は音響もよく、ストレートに音が出ている感じで嬉しい。音川さんのテーマ、もう思わず目を閉じて聴き入ってしまう。あー、体中から力が抜ける。とろけちゃいそう。ペンを持つ手がとまる、脱力。バックの照明の色がグリーンから赤に変わる。

Free People.ピアノがもう少し大きく聞こえるとバランスが良いのだが。リズムがよくこんなにぴったり合うものだ。音の組み立て方が違う?うまく説明できないけれど・・・。笑顔というか、にやっと笑ってあおる森山さん。ドラムソロ、汗が目に入って痛そう。力を振り絞って最後に連打、うおー、迫力!拍手拍手!「Gratitude、そしてFree people、演奏していただきました。森山威男カルテット、もういちど大きな拍手をどうぞ。」

お隣の宅配便屋さんに「いかがでした?」とお聞きしたところ、「いやあ、やりすぎだよ。かわいそうだよ、あんなにやらせて」どうも森山さんの体調の方を気になさっているようで、「いえあれはあれで大丈夫なんですよ」と言ったのだけれど、「ありゃあ、大変だ!」とゆずらない。

「ここで、20分間の休憩をいただきます。」と、来年完成の可児市の文化創造センターALA(アーラ)についての紹介と、ALAジャズネットワーク発足のご案内、森山グループのCDの宣伝をしてくださった。「ライブというのは、あるミュージシャンから伺ったのですが、ジャズミュージシャンと会場に来てくださっている皆さんとのデートの場だと思う。だとするならば、ラブレターに当たるもの、何だと思いますか?Thinking time・・しーんとなりましたね。CD。これがラブレターだと思うと。あ、素敵な表現だと思いました。」そうか、恋しても良いんだ。「もちろんデートとは全然違うんですが、ラブレターというのは何度も読み返せば読み返すほどその良さっていうものが伝わってきますよね。今日はそのラブレターを売るほど用意してございます。」会場笑い。「今日はその、Take 0と森山組信正見参というこちら2枚のアルバムを持ってきてございます。これは終わった後にメンバー全員がサインをさせていただこうと、思っておりますのでよろしかったらこの休憩中にお求めいただいて上のセロファンを剥いておいていただくとぱっと差し出しやすいかなと思いますので、そのように有効に使っていただけたらな、と思います。それではしばらく休憩の場とさせていただきます。また後ほど。」

2ndセットが始まる前に、もこさんがデジカメ片手にやっていらっしゃいました。ステージを撮影して欲しいとのご依頼。でも今日は禁止では、とちょっとびびった所、「記録のために・・」とのお言葉、そうかそうか、もこさんのご依頼ならと、引き受けてついでに自分も画像をもらおうとの魂胆。手ブレ防止のためにとお隣のYamamotoさんが三脚を貸してくださいました。ラッキー。セッティングをしているうちに、2nd setの最初の曲、Departure from the mysterious flashがスタート。タイトでアップテンポな曲で、音川ソロから。タムの連打が音階を作って雷のようだ。うわー、田中さんのソロのバックで音川さんがサックスを吹いて盛り上げる。ピアノとドラムの対決、ステージ上のライティングでまた映える。うれしくてノリノリで聴いていたらステージ脇に座っているもこさんと目があった。ドラムソロに突入。テーマに戻り、最後の連打、拍手と歓声。

「森山ジャズナイト2001、第二部が幕を開けました。第二ラウンドが始まった、っていう感じでしょうか。オープニングナンバーはDeparture from the mysterious flash。この曲は、今年惜しくも急逝されました、コルゲンさんこと、偉大なるジャズピアニスト、鈴木宏昌さんが作曲されたナンバーです。さあそれでは、いつもの森山威男さんのコンサートを、ライブを聴いていらっしゃる方にはやっぱり森山さん自身にしゃべってもらわないと、拍手・・ねえー。やっぱり物足らないですよね。それではここで、森山さん漫談タイム。笑い。「始めて参りましょう。後ろのマイク・・・あ、お持ち下さいました。えー、よろしくお願いします、森山威男さんです。」イエー、と掛け声、拍手。森山さん「小川もこです」と頭を下げる。

「森山さんが可児市市民となられてどのくらいの時間が経ちましたか」
「これで3年目になりますね」
「そうですか。どうでしょう、こんなにたくさんのお客さまが。後ろの方もぎっしりと立ってらっしゃいますが」
「そうです。この前、多治見市民だったときに、多治見市でもさせていただいたんですが、あのときは400人だったんです。・・・可児市へ移ってよかったなと思いました。」
拍手、笑い。
「どうでしょう、多治見からお越しのかたもたくさんいらっしゃってると思うんですが・・ね、今日は結構遠く、富山とか・・あとは自分は遠くから来たぞ!って方、お声をあげていただければ・・・北海道?どなたですか?遠慮しなくていいのよお。え?一番前の方?札幌から?」
拍手。しかしこの方は実は可児市在住のさっきの宅配便屋さん。ウケねらいであった。本当は北海道ツアーの時おせわになった会計士さんが、登別からわざわざお越しになっていたのであるがシャイな方なので後ろで隠れていたのでしょう。


「今日の遠距離大賞でしょうか。他に自分はちょっと遠いぞ、ってかたいらっしゃいますか?沖縄?」
「皐ヶ丘。」と森山さん。
「皐ヶ丘はねえ・・・まあお近くていらっしゃいますけど。でもホントにこんなにたくさんの方がジャズを楽しんで下さっていて。皆さんのパンフレットにもジャズって、ってことをジャズジャーナリストの三澤隆宏さんが書いていらっしゃいますが、森山さんご自身にも伺いたいんですけど、ジャズの楽しみ方について、どうやったらいいんでしょう。攻略法を。」
「まあこういった場では、司会者を見るのがいいですね。私たち演奏者は皆バックにとけ込むような黒いものを着ているんで。あなただけひとりそういう目立つ格好をして」
「ちょっと・・ね。派手な格好をさせていただいてすみません」
「楽しみ方です」
「それだけですか?もうすこし何かないんですか?」
「まあよく、ジャズはわからんという方がいらっしゃるんですけれど、じゃあ演歌ならわかるのか、何を称してわかるわからんというのか、私なんかわからんですね。」
「んー。何か難しいことをひとつでも、例えばひとりでも多くのミュージシャンの名前を知っていなきゃいけないだろうし、歴史とかもちょっとかじってなきゃいけないだろうし、曲名も一杯知ってなきゃならないだろうし。そういう思いがどっかにあるんですけどね」
「あ、だったら私なんかジャズのこと全く判らない。自分のできる曲8曲だけが(場内大笑い)、ジャズで知っている曲で、歴史なんか何にも知らない、山下洋輔と僕しか知らない」
「そうかー、非常に安心なさっている方がとても多くいらっしゃると思うんですけれど。でも多分ね、一緒に今こうやって楽しんでいる方が全員共通して感じていらっしゃることは、やっぱりジャズって楽しいんだって事と、何か心からわくわくさせてもらえるっていうことと、あと、何でしょうね、自由だっていう気がしませんか、皆さん。何か、決められた・・本当は決められたこともいっぱいあるんでしょうね」
「そうです」・・・ちょっとの間が空き、会場くすくす笑い。
「決められた中で自由だから楽しいっていうこともあるんですね。全部自由だと難しいです。本当のでたらめっていうのはできないです」
「そうっかー。よくね、言いますよね、何かよくお馬鹿さんって言われるような人、本当はすごく賢い人がしゃべるからお馬鹿さんっていう感じを出せて、でお笑いなんかも楽しめる。それと一緒・・・ですか?」
「???」
「たとえが変でした?」
「僕お馬鹿さんだからわかんない」爆笑。
「すみません、例えが悪かったです。実はね、人格者なんですよ、人格者・・人格ドラマーと呼ばれているってちょっと聞いたんですけれどそれ何ですか?」

と、先日のラブリーでもお話しになった、一時停止違反、一方通行逆送をして勘弁してくれた話が始まる。

「それで、おかしな事が起きたなあと思って。昔は僕はすごく怖い顔をしていたんですよ、小さい子どもなんか僕の顔を見ただけでわあっと泣くぐらい怖い顔をしていたんです。ところが、だんだんそうじゃなくなってきたんで、そういうことかなと思っていたら、この間山形のジャズフェスに行ったときにあとからインターネットのホームページに書き込みしてくれる方がいらして、森山さんのグループがすごく良かったと書いてくれたんですけれど、それにもまして森山さんの人格的な面がすばらしいなんて。私話した覚えもないんですけれど」
「あそこではひたすら叩いていらっしゃいましたよね」そう、山形ジャズフェスではもこさんが司会をなさっていたのでした。
「そうそう、だから見ただけでわかってしまうのかなあと思って」拍手、笑い。
「すばらしい。全身からにじみ出る、音楽に現れる人格。人呼んで人格ドラマー、森山威男さんです」拍手。

「でも、その人格者たる方ももちろん、いろいろな屈折した思いなどもお持ちになっていらっしゃったときもあるんでしょうね、でも先ほどご紹介したそのプロフィールを拝見しても、もう順風満帆、東京芸術大学、優秀な成績で入学され、え?首席卒業?」
「まあ打楽器科で、余分に行ったのは私ぐらいなものでね、普通4年で卒業するんですけれども、5年で卒業したのは僕だけだったんですよ。その前に白木秀雄さんてかたがいらっしゃったんですけれど、あのかたは途中で中退だったですね。だから、すごく嫌みを言われました。あなたが一年この大学に残るだけで、芸大は新しい方を一人採れないのよ、って。いてもたってもいられない思いをしたことがあります。」
「でもそういった思いは誰にでもあると思うんですが、エピソードを何かご披露いただけますか?」
「そうです。・・・・中学高校と優等生で来たんですが、音楽を志して、というかドラムが好きだったので、ドラマーになりたいって、親がそれを許してくれたんです。そうして、毎週東京にレッスンに通って、そうして今おっしゃった通り、東京芸術大学の打楽器科というところに入学できたんですけれど、ただドラムが叩けるだけで入学してしまったので、入学してからが大変でした。例えばピアノのレッスンなんて言ってもなにもできませんし、それから、聴音っていって先生がピアノを弾くのをすぐ五線紙にどんどん書き写していくんですけれど、そんなのもできませんでしたし、ましてや、作曲科の授業で、旋律を書くとその下に和音をずーっとつけていくんですけれど、それの授業の時なんてもう悲惨でした。(笑い)先生が上の旋律をこうピアノで弾くと、森山さんじゃあ出てきて下の和音をつけてください、って言われるので前にいってこうやっているんですけれど、全然書けないんです。そうすると先生が「ほら、聞こえるでしょう、こうで、こうですから、ほらっ!聞こえてきたでしょう!」「聞こえません」爆笑。そんな風なわけで、とうとうひねくれてしまいまして、そうして大学の打楽器の先生からも、嫌われるようになりまして、たとえばタバコの吸い殻が廊下に落ちていますと、全校放送でまるで小学校のみたいですけれど、「打楽器の森山さん」、って呼び出されるんです。「すぐお部屋へお帰り下さい」って。部屋へ帰ると先生がいて、「これはおまえが捨てたんだろう」「いや、僕は捨てていません」「じゃあ落ちていてもおまえは拾わないのか」ものすごい因縁をつけられて、」

「かわいそうー」
「そうです。それで、これでは到底クラシックの世界でやっていけないな、って思って、まあ、本当は負けず嫌いでしたから、N響へ入りたかったんですけれど、N響では絶対僕を採ってくれないと、そういいましたので、それなら実力で、生きる世界へ行こうと、それで急に大学3年から、ジャズに転向したんです。」
「はあー。」
「それでみんなが、みんなっていっても同級生2人しかいないんですけれど(爆笑)、同級生が今日はN響の定期公演会だとか、明日は日フィルの定期演奏会だとか言って、学生でありながら何十万も取っているときに、私が早稲田とか、東大とか、慶応大学とか、行って当時の学生が練習しているところに行って一曲叩かせてください、なんていって頭を下げて叩かせてもらっていたんです。で、先生にも大学を辞めますって言って、退学届けを出して、持っていったんですけれど、そんなことがあって・・・あれは寒い日でしたねェ・・・」笑い。
「何かこう、BGM欲しくなっちゃいましたねえ。ちょっとマイナーコードで、田中さん・・・」ともこさんからのリクエスト。本当に弾いてくれればよかったのに。
「国立のね、まあ武蔵野の田舎道を、歩いていたんです。空には星が降るようで、」


「演歌の世界だ」とお隣の宅配便屋さん。
「あのー、将来を期待されて、田舎のことですから、私が芸大に受かったっていうだけで、新聞のニュースになるくらいのものでしたけれど、それも何もこれで全部捨てるんだ、って思って退学届けを出して帰ってきた晩に、まあ泣きながら歩いてきたんですけれど、そうしたらとおくから聞こえてきたのが、確かアンディ・ウィリアムスが歌っていたんだと思うんですけれど、ダニーボーイだったんですよ。・・・淋しい曲でねえ。・・・Oh,Danny boy・・・っていうんですが、聴いているうちに途中から元気になるんですよ、ンラララ、ラーーラ、ララララ、ラララー、あそこでおれはまだやるぞおー、そういう気持ちになったのを思い出します。懐かしい曲です、ダニーボーイは。」
「じゃあ、聴かせてもらいましょうか、ダニーボーイを」大拍手。
「みんな、悲しく、そして元気になって下さい、
ダニーボーイ

音川さんが吹き始め、テーマが終わる直前「オウイヤアー」の掛け声。田中ソロ、来た来た、お互いの睨み合いは短く、即対決に。ブレイクもばしっと決まり、そこにまだまだデュオが続く、音川さん乱入、いいぞいいぞ。全員で爆走。私はこれはすごく良いと思う。このフリーのソロは楽しいし、固唾をのんで見守るという、デュオだけでなく、メンバー全員の力をありったけ爆発させるという感じで。
ただ、音川さんのフリーソロの最後でテーマを吹くのが、どうもテーマに聞こえにくい。前も書いたけれどここで田中さんに切り替えて最後のテーマを締めるのはダイナミクスが感じられない。やはり、最後にサビの、ンラララ、ラーーラ、ララララ、ラララー、と行くところはピアノでやって、そのあとの4小節を続けて締めて欲しい。なので、ここで提案。最初のソロを音川さんにして、田中さんを後にして最後に落差をつけるというのでは?あー最後、ゆっくり田中さんの美しいメロディーの余韻を楽しみたいのに例の掛け声マンが、「オウイヤアーイ!」と叫ぶ。もう、いちいち書かなかったけれど、この野太い声がどれくらい雰囲気を損なっていることか。もこさんは「好きに声をかけて・・・」とおっしゃるけれど、うるさかったのなんの。もうイヤ!拍手。

拍手も収まらないうち、タタン!とイントロでサンライズ。ああ、自分で弾いていたのはもう15年以上も前になるけれど、この曲を聴くと本当に血が騒ぐ。何百回この曲を弾いたかな。もちろん聴いた方が多いけれど・・・今の新しい曲は進行もコードもよく分からないけれど、この曲だけはmodeのキーで32小節のAABAの形式が、今どこをプレイしているか大体わかる。ぱっとサビにはいるときに望月さんがグオンと音をのばしたり、ありゃ今日は森山さんがサビでブレイク。ありゃー、田中さんと望月さんとの完璧なデュオになった、ちょっとずつ森山さんはスティックでつけたり、音川さんが吹いたりしているけれど。うわあ、ロールでアタマから入ってきた、すごく刺激的、ピシピシっと決まる。ドラムソロ、タイトに締めてテーマへ。エンディング、ドカタドカタドカタドカタ、バシーーィッ。オウイヤアー、の掛け声。お隣さんの宅配便屋さん、「今のが一番良かったねえ、すばらしかった。」

拍手が鳴りやまない。ハッシャバイが始まる。オウイヤアー、の掛け声の主と思うが、手拍子。頼むわー、1拍3拍で手拍子を入れないでえ。と思っているうちに2人組で、1,2,3,4拍全部に手が入る。ピアノソロのバックで、それも全部だんだんリズムがずれてきて、聴くに堪えない、あー、曲に集中できないじゃないか!イライラしているうちに田中ソロは終わって音川ソロに。望月さんのソロ、良く聞こえた。みわみわちゃんが、「望月さんのソロ、初めて聴いたけれどとってもかっこいい」森山さんのソロはなしで、テーマに戻る。途中で消えていた拍手がまた隣で再開しているけれど、全く調子はずれ、テンポとずれ。あー、またイライラ。オウイヤーの掛け声続く、ウルサイナア。

花束贈呈。ありがとうございます。なんだか有名人になったような感じで、明日からゴミの袋をもって歩けないようになりました(え、ホントにゴミ出ししてるの?)。本当に早いもので、10代から20代、30代とつっぱって生きてきたんですけれど、もう50代になるとつっぱろうとおもってもどうもこの辺が(胸のあたりを指す)ぐずぐずっとなってきて、なんか息の根がなくなるような淋しい気持ちもしてきます。音川とか、田中とかが一緒にやってくれるので、望月を抜かせば、平均年齢は若返って、今年で辞めるか、今年で止めるかと思って一年一年こうやって続いてきてしまいました。こんなに皆さんがきいてくれるんなら、また来年もやろうかななんて・・・。大拍手、まだやろうぜー、の声。美空ひばりじゃないんですけれど、せいいっぱい健康に注意して、やれる限りは叩いていこうかなと思っています。東京を離れ、名古屋を離れ、多治見を離れて今、可児に住むようになりましたけれども、ご近所の方々、今日はどうもありがとうございました。可児の議員さんもいらっしゃってるし、教育長さんもいらっしゃってるし、昔住んでたホワイトタウンの方もいらっしゃいます。子どもの先生もいらっしゃるし、嬉しいような恥ずかしいような、そんな気持ちです。神風ドラマーを辞めて、さっきもこちゃんが言ってくれましたが、人格ドラマーとして再出発したいと思っています。・・・ありがとうございました!

拍手の中、ピアノのイントロでグッドバイがスタート。ああきれいな音、ホールの中が水を打ったように静まりかえって、美しいメロディーが響く。田中さんのソロ、ベースのグズラさんの音がまたよく絡んで伸びている。ほーっ。もう言葉はいりません。
最後の所、おきまりで森山さん一暴れ。
終わって、拍手拍手、「イエーイ」「ありがとうー!」の掛け声。

「ありがとうございました。ね、冒頭、今日が初めてのジャズライブの方は、幸せであり、不幸であると言った意味が、判っていただけたかなって。これがジャズの基準点になるとけっこうこれからね、聴いていくものを選ぶのが大変って思うかもしれません。」本当にそうなんです、うちのダンナは初めて聴かせたライブが森山さんで、基準が森山さんになってしまっているので、他のものを聞かせられないんです。

「でもね、素敵な感動をいっしょに共有できた事を幸せに思います。ちなみにダニーボーイの後に演奏されたのは、ピアニストの板橋文夫さんの作曲されたサンライズ、アンコールの一曲めはハッシャバイ、そうして最後の曲は、これはもう・・・地球が続く限り永遠のスタンダードになると思います。グッドバイ、っていう曲でした。この曲で今日は皆さんとはお別れになってしまいます。えー、この後は恐らく打ち上げなんてものがあると思いますが、そちらで皆さんの感想などを読ませていただきたいと思います。この緑の紙に感想を書いていただきたいと思っています。それから先ほどね、休み時間の前に申し上げましたが、ALAジャズ・ネットワークへのご参加をよろしくお願いします。さらに申し述べました、CDの販売をロビーの方で行います。希少価値の高いCDです。まあ多くは申し述べませんが、CD屋さんで見つけるのはなかなか難しいぞ、っていうCDですが、お買いあげになっていただけるといいんじゃないかなと思います。メンバーがこれからロビーの方に伺いまして、ぜひサインなどをさせていただこうと思います。そうしてこのALA文化創造センター、良い名前ですね。来年7月にできあがります。完成を待ちわびながら、是非また来年、森山威男カルテット、そして私もまた司会でおじゃましたいなあって、思うんですが。」拍手拍手。「ね、また一緒に感動を分かち合いましょう。今日は本当に遅くまでありがとうございました。お気をつけてお帰り下さい。ありがとうございました。」

終わってから大サイン大会。この模様はhoriさんのページに。

打ち上げの席で、もこさんの「手下」おおいた・サラさんが届けてくださった牛乳焼酎を前に森山さんともこさん、いやあ、もこさんお強い。けっこう呑んでいらっしゃるはずなのに、酔ったそぶりなど微塵も見せず。翌日はセッション505の収録があるのに、結構遅くまでおつきあい下さった。お疲れさまでしたー。